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BSマイタウン通信

名古屋で出版と古本屋を一人でやっている70過ぎのジジイ。金はないけど暇はある。思うがままに綴る日常とは……。
●当店の「ホームページ」は下記をご覧下さい。
http://www.mytown-nagoya.com/
●ブログ「店主の近況・心境」は下記をご覧下さい・
http://blog.mytown-nagoya.com/?PHPSESSID=339e02ce033948d89a844f9756098c40
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この目で確認できた
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     取材で美浜町の葦航寺を訪ねた。「葦」を「い」とはなかなか読めない。「いこうじ」は知多新四国八十八カ所の番外だが、霊場開創者の一人武田安兵衛ゆかりの寺だ。

     ここの弘法堂に中野甚右衛門重富の彫刻「唐人の囲碁」がある。それをこの目で確かめてみたかった。甚右衛門は立川流二代目和四郎冨昌の弟子とされているが、本当は作十郎の弟子だと見ている。

     裏に何かが書かれている。ご住職が脚立を貸して下さった。間近で見れば「信州准立川 上野間 中野重富 行年七十八翁 夏月調刻」とある。

     甚右衛門はわざわざ「准」の字を入れている。この「准」には「つぐ」の意味があり、助教授のことを准教授と言ったりもする。甚右衛門は立川の“直参”ではなく、弟子の弟子“陪臣”だと自ら署名していた。

     やはり師匠としていたのは作十郎だった。かつて住んでいた家に、作十郎の下絵が多く残されていたはずだ。立川流の研究では作十郎は日陰者扱いであり、甚右衛門もいまは冨昌の弟子とされてしまっている。
    | 記事 | 22:09 | - | - | - | - |