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BSマイタウン通信

名古屋で出版と古本屋を一人でやっている70過ぎのジジイ。金はないけど暇はある。思うがままに綴る日常とは……。
●当店の「ホームページ」は下記をご覧下さい。
http://www.mytown-nagoya.com/
●ブログ「店主の近況・心境」は下記をご覧下さい・
http://blog.mytown-nagoya.com/?PHPSESSID=339e02ce033948d89a844f9756098c40
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知られざる国府畷の戦い
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     月刊「東海財界」2月号に載せる校正が届いた。今度取り上げるのは明応2年(1493)に起きた国府畷(なわて・稲沢市)の戦い。尾張の統一は信長とされているが、実はこれ以前に清須の織田敏定が岩倉の織田寛広(とおひろ)を追放し、岩倉を併合していた。

     国府畷の合戦は寛広が妻の実家である美濃斎藤氏の支援を受け、約3000の兵を国府畷へ繰り出したことから始まる。いわば寛広による再挑戦、敗者復活戦だった。戦いは苦戦しながらも敏定側が勝利し、尾張の支配を一層確かなものにした。

     この戦いの模様は『武功夜話』に詳しく書かれている。2月号の原稿は同書をもとにしてまとめたが、合戦の展開や登場する武将たち、戦死者の数などが具体的に書かれている。下津城(稲沢市)は火の海とされ、城兵150余騎がいつも車で通る五日市場(一宮市)まで逃げてきたという話も面白い。

     尾張の統一と言えば、信長とされている。しかし、それよりも以前に、敏定によって成し遂げられていた。野村作十郎の件にしてもそうだが、通説が必ずしも正しいとは限らない。

     『新修名古屋市史』も敏定による統一を認めてはいない。「江戸時代の文献」として書名は挙げず、「織田敏定による岩倉城攻略を説くものもあるが(中略)にわかには信じがたい」と否定的。こちらの連載は尾張の戦国時代を戦国史料『武功夜話』で読み解いていこうとするものである。
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