2010.03.07 Sunday
鷲津・丸根を守った人々の怨念は
いま桶狭間合戦の本を編集している。なかなか出せないのでイライラしているが、この戦いはあまりにも謎と言うか、分からないことが多すぎる。両雄がたがいに布陣し合って戦ったわけではないので、よけいにそうである。
いまから450年前の永禄3年5月19日、信長は今川方に属した大高城の付け城、鷲津・丸根の両砦が攻撃されたとの急報を受けた。が、非情にもそれを見捨て、救援には向かわなかった。信長は義元の首一つに賭けており、両砦は捨て石にされたのだ。 日本軍にとっては沖縄も、この両砦と同じようなものだった。アメリカ軍の本土上陸を一日でも遅らせる、そのためには島が犠牲になっても構わない。こうしていまに至るまで、沖縄の悲劇が続いている。 鷲津・丸根両砦を守っていた将兵と同じように、捨て石にされた沖縄県民は浮かばれまい。これまでの苦労を思うと、一日も早くそれに報いる必要がある。鳩山さんがどのような結論を出すか注目されるところだが、このごろ報じられている感じでは基地の県外移転はトーンが落ちてきているようにも思われる。 政府は5月中に結論を出すと言っている。こちらは遅くても5月19日付で本を出さなくてはならない。ともに待ったなしであり、このごろ両砦と沖縄が妙に似たように思えてきてしまう。 |