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BSマイタウン通信

名古屋で出版と古本屋を一人でやっている後期高齢者のジジイ。金はないけど暇はある。思うがままに綴る日常とは……。
●当店の「ホームページ」は以下をご覧下さい。
http://www.mytown-nagoya.com/
●店主の近況・心境はフェースブック「舟橋武志FB」をご覧下さい。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100011622374849
77ジジイのうだうだ日記
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    ●いよいよジジチャリで「go to 能登」

     

     梅雨でなかなか自転車に乗る機会がなかった。名古屋地方も一昨日、梅雨明け宣言が出た。めちゃくちゃ暑くなってきた。

     

     明後日5日が出発日だ。今年は熱中症に加えて新型コロナとも闘わなくてはならない。どんな旅になるか楽しみでもある。

     

     期間は10日前後の予定。いつものように行き当たりばったりだが、旅館などはいつもとは違って予約が取りやすいみたい。しかし、気になるのはgo to トラベルの内容がよく分からないことだ。

     

     当日、個人で予約しても、割引の対象になるのだろうか。なんだか業者のパック旅行などみたいな感じで、直前の予約では対象にはならない気がしないでもない。でも、行ってみれば、おのずと分かってくることか。

     

     こっちも見たい、あっちへも行きたい。たとえ悪いことが起きても、それも旅の面白さだ。しばらくほこりをかむっていた自転車を磨いてやった。

     

    https://www.facebook.com/profile.php?id=100011622374849

    | 記事 | 10:55 | - | - | - | - |
    「自転車大好き」大奮闘❗❓
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      売れ行き・桶狭間・原稿募集

       

       地方小出版流通センターの月刊情報誌「アクセス」521号が来た。な、な、な、なんと!ジュンク堂書店池袋本店では「自転車大好き」が2位に入っているではないか。そんなに売れていないのに、これにはびっくりだ。

       

       前にも表明したが5月30日に予定していた「ママチャリで桶狭間」、新型コロナの関係で中止することにした。来年の5月下旬から6月の上旬にかけて、また計画をしてみたい。まさかこういう理由で断念することになるとは、企画した当時、考えてみもしなかった。

       

       創刊第2号(実質第3号)は7月1日付の発行となる(季刊)。原稿の締め切りは6月10日です。われこそはとお思いの方、ふるってご参加ください。応募規約などは以前に書いたのがこの下の方にあります。

       

      | 記事 | 11:23 | - | - | - | - |
      ママチャリで桶狭間、中止に
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        52日 もう真夏日とは……

         

         530日に予定していた上記の企画、新コロナが治まりそうになく、中止することに決断した。何とかしてやりたかったが、いつまでも引き伸ばしておくわけにもいかない。昨日、政府も専門家会議の提言を受け入れ、緊急事態宣言を1カ月間延長することにした。

         

         何人かからは参加の意思表示をいただいていた。その中のお2人は県外の方で、実施となれば宿の手配も必要となってくる。今日、中止の旨をお伝えしたが、歴史に興味をお持ちのようで、「まことに残念」とのことだった。

         

         次の問題は今後、どうするかだ。秋にも実施したいところだが、史跡などを見て回っていると、日暮れまでに桶狭間へたどり着けそうにない。来年の5月か6月に再度企画するので、それまで気長にお待ち下さい。

         

         今日はいきなり31度を記録する真夏日となった。昨夜まで毛布に布団2枚を重ねて寝ていたのに、今夜は毛布1枚だけでよさそう。急激な変化に体がついていきそうにない。

         

         昨年の夏の北海道行きは40度を超す日もあった。あのときは勢いで完走できたが、今日のような気だるさだったら、行く気にもなれない。新コロナと猛暑で今年の九州行きが怪しくなってくる。

         

        | 記事 | 21:50 | - | - | - | - |
        「自転車大好き」創刊号のご案内
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          「自転車大好き」創刊号の目次と編集後悔記

          ご案内・4月1日刊

          B5判・62頁、本体500円+税(200部制作)

           

          https://www.facebook.com/profile.php?id=100011622374849

           

          https://twitter.com/MytownNagoya

           

          創刊号目次

           

          【明智光秀特集】誕生地・岐阜県可児市へ

          ジジチャリで日帰り、小さな旅=2

          “もう一つの”誕生地・恵那市明智町=11

          レトロな町、日本大正村を歩く=16

           

          【歴史を掘る】人気急上昇、光秀ゆかりの地

          ・町民こぞって光秀びいき(恵那市明智町)=20

          ・光秀ゆかりの明智城は可児市(同市瀬田地区)=22

          ・光秀は岐阜の美山町に生きのびていた!=24 

          ・光秀さんは村の開拓者(山県市美山町)=26

           

          勿怪の幸い 金井敏行=28

          おやじのおさがり 鵜飼昌豊=30

           

          四国の漂流者街道を走る=31

           

          本のちょっと 自転車本『新・自転車“道交法”BOOK』=37

          突発企画・ママチャリで桶狭間=38

           

          みんなで作るわたしのコラム「晴走雨読」=41

           

          三寺社へ初詣サイクリング=45

          同じ青空の下で 心に残る思い出の人たち=50

           

          さあ、原稿を書こう 読者プレゼント=53

           

          〈日記抄〉平々凡々なれども多事多端=54

          えんぴつ・編集後悔記=62

           

          自転車と私と自然と(1)小林培男=巻末

           

           

          編集後悔記

           

           ◆…今日は3月20(金)、春分の日。いま最後となったこの欄を書いている。レイアウトも同時進行しており、どうにかこの三連休の追い込みで4月1日前には出せそう。やれやれである。

           

           ◆…まだ決めかねていたが、季刊にすることにした。1月、4月、7月、10月のそれぞれ1日が発行日となる。頁数も60頁前後でよしとした。無理に背伸びするのではなく「カニは甲羅に似せて穴を掘る」の気持ちで末永くやってゆきたい。

           

           ◆…創刊号は期せずして反省号となった。所々で書いてきたが、飲酒運転で強いおしかりを受けた。まったくその通りで、本誌はこれからはその防止と撲滅の先頭に立ちたい(大きく出た?)。

           

           ◆…「本のちょっと」でも書いたように自転車保険に入った。家族分も含めて1年1800円ほどの支払い。安い金額なので、読者の皆様にもお勧めしたい。

           

           ◆…保険に入っていれば、精神的にも楽である。事故はいつなんどき起きるか分からない。寄稿していただいた金井さんのような幸運はまずないものと思わなくては。

           

           ◆…唐突に「ママチャリで桶狭間」を企画した。せめて10人くらいの参加者があるとありがたいし、やりがいもあるのだが、さて、当日はどうなることやら。ママチャリだから行きも帰りも自転車となり、人によっては結構きついコースとなるかもしれない。参加者はご覚悟を。

           

           ◆…今回は3人の方から寄稿していただいた。今後も続けていけば、もっと増える! と勇気が湧いてきた。本当は締め切りが迫ってきても、投稿の話さえ出てこなかった。こうなったらもう毎号、一人ででも埋めてやると腹をくくっていた矢先のことで、これには大助かりだった。

           

           ◆…創刊準備号で執筆者には特典として定価の半額でお分けすると書いた。しかし、大量・無制限となると大赤字になるので、10冊までと限定させていただくことにした。ご了承下さい。

           

           ◆…原稿は何とか書けるが、表紙は何ともならない。著作権フリーのイラストを貼ってごまかしているが、どなたか「おれがやってやる」という奇特な方はおられませんか。原稿料こそ差し上げられませんが、お中元とお歳暮はフンパツさせていただきますけど。

           

           ◆…地図が何とかならないかと言う人もいた。手書きでみっともなく、自分自身でもそう思っているけど、これもジジイが一人でやっていること。そのうちパソコンをもっと勉強するつもりでいるが、当分はいまのままでご辛抱を。

           

           ◆…長かった冬も終わった。暖冬とはいえ、春の来るのが待ち遠しかった。これからは格好のサイクリングシーズンで、遠出する人も多くなろう。次号の特集は「しまなみ街道」と「自転車ダイエット」の二本立てを考えている。乞う、ご期待!

           

          | 記事 | 15:38 | - | - | - | - |
          「自転車大好き」創刊準備号・0号、出来❗
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            こんな雑誌があるのか。“投稿雑誌”といいながら、一人で全部埋めてしまうなんて。仕方がないので創刊準備号としたが、「自転車大好き」な方々、本誌に原稿を書いて下さい。そうでないと、創刊できません!

             

            本はB5判・62頁。550円(+送料300円均一、何冊でも可)。みんなで作る、わたしの雑誌。1月1日付、できたてほやほや。目次と編集後記は以下の通りです。

             

            も・く・じ

             

            創刊に先だって・舟橋武志

            こんな雑誌ある? 瓢箪から駒、ウソから出たマコト

            これからにご期待を!

             

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

             

            【特集】ジジチャリひとり旅三連発

            遠くへ行きたい。知らない町へ、知らない村へ。のんびり、ゆっくり、自転車旅行

             

            ウォーミングアップ・どこまで行けるか、近江路への旅

             

            第一弾★四国一周の巻・体よりも先に、自転車がいかれた!

            四国は自転車で走るにちょうどよい広さ・行き当たりばったりの宿屋選び

             

            第二弾★富山への巻・走れ!ジジチャリ“彫刻の街”井波へ

            国道156号を北へ北へと・合掌村、白川郷から五箇山へ

             

            名古屋弁「ケッタ」の旅

             

            第三弾★北海道の巻・76ジジイのそれ行け! 北海道

            急な坂道に悲鳴・出たっ、ジジイの立ち漕ぎ

             

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

             

            自転車をこよなく愛した人・「母からのプレゼント」

            本のちょっと・森久士著『輝け!団塊世代の老春』

             

            ランナーも最後は自転車・さようならNさん

             出会い、意気投合・あなたはアイデアマンだった

             

            定光寺へ“お試し”ツーリング・JR中央線跡のトンネル群へ

             

            〈日記抄〉平々凡々なれども多事多端

            えんぴつ・編集後悔記

             

            編集後記

            ◆…名古屋弁に「どうぞこうぞ」という言葉があります。「やっとのことで」とか「どうにかこうにか」という意味です。11月初めに発刊を思い付いて以来、とりわけ後半はこれに没頭し、ささやかながら「どうぞこうぞ」形にすることができました。しかし、当初に予定していたよりも貧弱で「創刊準備号」としました。

             

            ◆…目指すのは「自転車大好き」という人たちの投稿による雑誌です。自転車で旅に出たこと、自転車通勤や通学での出来事など、自転車にまつわることなら何でも自由に書いて送ってきてほしい。掲載された方にはその号を何冊でも半額で買える“出血価格”の特典付きです。

             

            ◆…中にはどうしても完全版下(そのまま印刷できる状態)にできないという方もあるかもしれません。もしそうでしたら、文章や写真などをメールでお送り下さい。大したレイアウトはできませんが、こちらでやらせていただきます。

             

            ◆…ご覧の通りのみすぼらしいもので、書店には並びそうにありません。本誌をご希望の方は直接当店までお申し込み下さい。10冊まとめてお買い上げの方には1冊プレゼント致します。当店は古本屋をしていますが、送料は遠近・大小・軽重・数量を問わず一律300円です。

             

            ◆…表紙は雑誌の顔と言えるでしょう。しかし、その顔はテキトーに作ったもので、お恥ずかしい限りです。どなたか、われこそは、という奇特な人はいませんか。継続して担当していただけたら、自転車を題材にした作品集になるかも(そんなに続けばいいのだが)。「表紙倒れ」と言われるほど立派な作品、大歓迎です。

             

            ◆…「どうぞこうぞ」できたので、今度はこれを売り歩く番です。人に会うたびに「これ、買って」と頼み込むつもりでいます。次号は4月1日付で3月中の発行を目指しています。そのためにもこれを売って、軍資金を作らなくてはならなりません。

             

            ◆…販売ルートとてありませんが、ヤフオクには出品するつもり。当店の業務である古本の販売も、ほとんどがヤフオク頼りです。ヤフオクは鎖国時代の出島のようなもので、流通ルートから疎外された当店の出版物も、その数は知れているものの、ここを窓口にして出ていきます。ご希望の方はヤフオクで検索してみて下さい。

             

            ◆…これを書いているいまの時点でも、発行部数を決められないでいます。同じ体裁の「影の人 野村作十郎」は200部印刷していますが、さて、どうしたものか。これは一般的なテーマで売れるのではないかと思う一方、こんなものにお金を出す人がいるのかと心配にもなってきます。「どうぞこうぞ」売れることを願いながら、そろそろ印刷部数を決めなくてはならないのですが。 (舟橋武志

            | 記事 | 14:40 | - | - | - | - |
            投稿雑誌「自転車大好き」創刊の辞
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              こんなの、作っちゃいます。

              よろしくお頼み申し上げます。

               

              ●みんなで作ろう! 投稿雑誌

               

               発作的に自転車雑誌を作ろうと思った。自転車旅行をしていると走って終わりにするのではなく、その体験を記録として残しておきたい、との思いに駆られてくる。いまはSNSで簡単に発信できる世の中だが、こちらはあくまでも紙媒体にこだわる古くさい人間なのだ。

               

               こんな思いの人は他にもきっといるはず。こうした人たちを読者にし、しかも、そのうえ書き手にまでなってもらえれば、面白い雑誌になるのではないか。いや、面白いかどうかはやってみないと分からないが、そんなものが成り立ちそうな気がしないでもない。

               

               こう考えてくると、思いはエスカレートしてゆくばかり。しかし、どうやって継続的に出してゆくか。貧乏暇なしの日々を送る中で、いままた新たな雑誌を編集し、発行してゆくとなると、これはなかなか大変な作業になる。

               

               そこで思い付いたのがいっそのこと、こちらが中心になって作るのではなく、みんなの原稿を寄せ集めて一冊にまとめる、という方法だった。しかも、書き手が印刷する前までの状態に仕上げれば、それらを集めて印刷に回すだけですむ。自転車にテーマを絞った、読者による投稿専門雑誌、というわけだ。

               

               これでよければ、そんなに手間もかからない。忙しい身でありながらも、なんとかやっていけそうである。いったん火がついた雑誌創刊の思いはめらめらと燃え上がり、頭の中は妄想と幻覚でいっぱいになってきた。

               

               11月9日、ぼくのブログとフェースブックで、みんなに参加(執筆)を呼びかけた。多少の反応はあったものの、投稿者はいまもってまったくなし。これは初めから予想していたことでもあった。

               

               その一方で、身近にいる人や知人・友人に直接声をかけて回った。しかし、こちらも反応はにぶかった。「自転車に乗るのは好きだけど、人様に読んでもらうような文章はとてもとても」「パソコンは苦手で、刷るだけの状態にはもっていけそうにない」等々。これはとにらんだ人でさえもがそうだった。

               

               自転車通勤をしている若いコピーライターにも声をかけてみた。すると彼は「原稿を書かせて金を取るんですか? いただけるのではないですか」との返事。実は執筆者には発行協力金として一頁当たり750円を頂戴することにしていた。

               

               一冊の雑誌を作るとなると、それなりの費用がかかる。ある程度の出費は覚悟しているが、世に言う“3号雑誌”で終わらせてしまったのでは意味がない。継続的に発行してゆくためにも、この協力金は参加者のみなさんに“協力”してほしい。

               

               こうなると勧誘するのも楽ではない。中には「そんな雑誌が成り立つわけがない」「やけどをするだけだから、やめておけ」と言ってくれる人もいた。しかし、雑誌を創刊するという思いはもうどうにも止められなくなってきていた。

               

              ●他力本願、必死のお願い

               

               とにかく第1号を作らないことには話が始まらない。創刊号は自分一人の原稿だけででも、発行することにした。これまでに書きためたものを寄せ集め、このため新たに書き起こし、雑誌らしく自転車に関するコラムなども考えた。

               

               こうしてやっていると、だんだん本気になってくる。仕事やお金のためにするのは気が重いが、したいことを遊びですることほど楽しいものはない。自分本来の仕事もそっちのけにしており、すでにだいぶ出来上がってきた。

               

               しかし、いくら頑張ってみたところで、薄っぺらなものでしかない。創刊号にしては頁数が少なく、これではあまりにもみすぼらしすぎる。そこで「創刊準備号」と名付け、以後に出す創刊号のための“見本”とすることにした。

               

               問題は表紙だ。この遊びに付き合ってもらえるデザイナーなどに期待したが、そんな奇特な人はいそうになかった。ギャラなし(内心、お中元とお歳暮くらいは奮発するつもりでいた)では一人の応募者も現れなかった。

               

               仕方がないので自分で作ることにした。とはいってもイラストなどを書けるわけではなく、著作権フリーの絵を集め、ぺたぺたと貼り合わせるだけになった。ひいき目に見てもお粗末な感じをまぬがれないが、それもこうした状況の中にあっては致し方あるまい。

               

               これはあくまでも遊びでやる雑誌だ。いわばミニコミや同人誌のようなもので、ごく内輪の特定少数に受ければよいと思っている。粗末なものでもいいので経費は極力抑えるつもりだし、そのためにも参加者には協力金を求めたい。

               

               創刊された雑誌を見ていると初めは華々しく立派だったのに、号を重ねるごとに見劣りするようになっていくものもある。意気込んだ割には、やはり売れない(受けない)のだ。それくらいなら初めはみすぼらしいものでもいいから、だんだんよくなる雑誌にしていけたらと考えている。

               

               それにはやはり、みなさんの協力だ。自分がその書き手であり、かつまた、作り手であるという意識がほしい。自転車好きのこんな人たちが集まってきたら、それこそ「瓢箪から駒」「ウソから出たマコト」も決して夢ではない。

               

               こう書いてきたら、頭の中に「みんなで作るわたしの雑誌」というコピーが浮かび上がってきた。窮すれば通ず、だ。参加者のお慈悲にすがり、これを雑誌のキャッチフレーズにしよう。

               

               この雑誌に金や手間をかけられないのは、もう一つ同じような雑誌を作っているからだ。これは「影の人  野村作十郎 立川流彫刻の立て役者」(B5判・60頁前後・不定期刊)と言い、江戸後期に出た立川流の宮大工をテーマにしたもの。世に知られていない彼の業績を掘り起こすことにしており、このケンキューを老後のライフワーク(と言えるかどうか)の一つとしている。

               

               こちらは7号まで出せた。しかし、今年の1月に出したままになっており、来年はこの再建に取り組む方針でいる。それだけに新雑誌に時間をかけるのは難しく、読者の寄稿だけが頼りとなってくる。

               

              ●次号、創刊号が正念場

               

               今回はやむを得ず自作自演となってしまったが、みんなで作る雑誌に育て上げてゆきたい。そのためにもぜひ原稿を書いて協力してほしいとすがりつくばかりだ。原稿が雑誌という形になるのを喜ぶ人はきっといるはずだし、それを信じて発行に踏み切ることにした。

               

               次号では読者のページを設ける予定でいる。寄稿はできなくてもいいから、いろいろな意見や感想、批判・文句などを寄せていただきたい。これらを集めた頁も新設する方針だ。

               

               いささか他力本願となってしまうが、次の創刊号が新たな船出となる。自転車をこよなく愛する方々が思い思いに、自由気ままに書いて下さることを切に願っている。いまこれを読んでいるあなただけが頼りなのだ。(舟橋武志 2019.12.1

               

              ・12月中旬出来上がり、B5判・62頁、定価=本体500円+税(250部制作

              | 記事 | 16:05 | - | - | - | - |
              76ジジイの「それ行け❕ジジチャリ北海道」
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                ジジチャリで北海道へ                舟橋武志

                 

                 この夏(2019)、愛用のジジチャリで北海道へ行ってきた。8月7日に家を出て、26日に帰宅した。20日間、走った距離は約1400キロ。この模様は写真や動画も添え、フェースブックで報告してきた。その中から抜粋して旅の様子を紹介してみたい。

                 

                ●8月7日

                 

                 えらいこっちゃ。土岐市内のファミマでガリガリ君を空にかざして写そうとし、スマホを落としてしまった。ガラスにひびが入った。壊れはしなかったけど。フェースタイムだと、写真の一部がボケてしまう。

                 

                 国道19号の土岐から瑞浪、恵那、中津川は早くも登り坂の連続だ。おまけに炎天下。足がつって往生する。先が読めない、北海道がとてつもなく遠い。

                 

                 中津川駅前のビジネスホテルに5時過ぎに投宿。シングル4600円也。疲れた、よれよれだ。この日の走行距離約80キロ。

                 

                 駅前はにぎわっている。一日で日焼けした。これが重なると、どうなってしまうのか。

                 

                ●8月8日

                 

                 木曽路に入ってきた。きのうは殺風景な国道だったが、景色はよくなった。そのかわり、上りばかり。しかし、坂は案外好きだ。そのぶん、下りがあるからだ。

                 

                 早くもガリガリ君を一本。コンビニ前のベンチに座って一服。昨日は4本も食べた。

                 

                 昨日、中津川の駅前を散歩中、アブにももを刺された。いまもアブに付きまとわれているが、低空飛行してきたところを踏んづけてやった。仇はとった。

                 

                 コンビニの前に「名古屋大学サイクリング部」と書かれた自転車が3台あった。聞けば、北海道へ行くという。10日間の予定で、帰りはフェリーだそうな。こちらのとほぼ同じコースだが、かける日にちは半分だ。

                 

                 道の駅「大桑」で昼食に山菜そばを。暑いに熱い。汗だらだら。これがいいのかも。

                 

                 ここで派手なユニホームを着た自転車の若いカップルに出会った。これから奈良井まで行き、中山道を下ってくるとか。見送りながら「幸せになるんだよ」とつぶやいた。

                 

                 途中、中山道を歩いている人、4人に出会った。中年の人と若い人2人ずつ、ばらばらに。いずれも赤銅色の顔で厳しさがうかがわれた。これには頭が下がる。

                 

                この日の走行距離は約60キロ。木曽福島の旅館に素泊まり。行き先が読めないので、行き当たりばったりとならざるを得ない。

                 

                ●8月9日

                 

                 アブを踏んづけて意気がっていたけど、まかり間違うと自分の姿だ。大型車がひっきりなしに行き交うところで転んだら、即、こちらもあの世行きだ。絶対、何が何でも、転びそうになっても、復元する根性で乗っている。

                 

                 ドライバーにはまったく迷惑な話だ。よけてもらえるのがありがたく、他力本願がこんなところでも感じられてくる。中にはそんなことなどお構いなしに、猛スピードで通り過ぎていく車もあるにはあるのだが。

                 

                 アブには悪いことをした。汗臭いから周りを飛び回っていただけなのかもしれない。何も踏んづけることはなかった。なぜかいまごろになって、後悔の気持ちに駆り立てられてきた。

                 

                 今日はどこまで行けるやら。坂ばかり。イチニイチニ、ゼーゼーハーハー、ジジイの立ち漕ぎ。それもかなわぬとなると、引っ張って歩くことに。先が読めない。

                 

                 鳥居峠が分水嶺だった。言われてみれば、そうだ。薮原宿と奈良井宿との間。鳥居トンネルまでは厳しく、自転車を引っ張って歩く。

                 

                 トンネルを出ると、奈良井川が下っている。奈良井宿、贄川宿と来て、あれほど苦しめた国道もいまは下り坂で従順だ。今日は距離を稼げそう。

                 

                 長野市の手前、国道19号線脇の横断歩道橋下で蜘蛛の巣を払って昼寝。いかん、そよ風があるのはいいが、蚊取りが効かない。アリもはい上っくる。早々に退散することになった。脇に筆塚の石碑があったが、どんないわれがあるのだろうか。

                 

                 長野市まで来た。木曽福島から約100キロ。我ながら、よく来たと思う。この調子なら、だいぶはかどりそう。

                 

                 いつも午後4時前後から宿を探す。取れても、食事はまずだめ。3日間とも素泊りとなった。

                 

                 昨日は素泊り5500円にビール2本、計7700円也。今日の泊まりは2軒断られ、信州不動温泉「さぎり荘」に。純粋な素泊りで7710円。こちらは温泉に入れ、ゆったりできるいい宿だった。部屋も一人ではもったいないほど。

                 

                ●8月10日

                 

                 ここは長野市の信州新町。「かあさんの歌」発祥の地だそう。♪かあさんは夜なべをして わたしーを産んでくれたー、と。キミマロなら「あれから76年……」だな。

                 

                 コンビニで朝弁。国道19号で長野市街に入って、今度は18号で新潟の上越市へ。小布施へ来るとき、よく通った道だ。上越へはまだだいぶある。

                 

                 豊野町の橋の片隅で一服。「旅のメモ帳」をどこかに忘れてきてしまった。もうメモがわりはスマホしかなくなった。

                 

                 ここで休んでからが大変だった。川をさかのぼることになった。鳥居トンネル手前までの苦しさ以上だった。

                 

                 苦から逃げようとすると、苦は追いかけてくる。坂は終わると見せかけて、カーブの向こうにさらに続く。楽をしようとすると、楽は逃げてゆく。苦を乗り切った向こうに楽がある。自転車をこぎなから、ブツブツブツブツ、ブツブツブツブツ……。

                 

                 戸隠・黒姫を経て、妙高から新潟県入り。これまでにない苦しさで、「ジジイ殺しの坂」と命名する。しかし、その先の直線道路の長い下り坂は先の苦労を帳消しにしてくれるのに十分なものだった。

                 

                 午後7時過ぎに直江津の駅前旅館に何とか到着した。この日の走行距離は約100キロ。昨日の100キロとは全然違う苦しさだった。だんだん過激になってくるのがこわい。直江津手前で見た夕陽がきれいだった。

                 

                 宿は素泊まり5500円也。山から下りてきた妙高、赤倉、池の平などの観光地は10数軒に電話をかけたが、みんなだめ。夏休みとお盆前で、まず取れない。

                 

                 手前の新幹線「上越妙高」駅前にはアパホテルしかなく、身分不相応でパス。さらに走って直江津まで来てしまったわけ。前はもう日本海だ。ついに宿に引かれて、ここまで来た。

                 

                 いま一人宴会をやっている。持ち込みの飲食費は570円と安上がり。こんな手もある。宿にはあぶれたのか、若い女性の泊まり客もいた。

                 

                ●8月11日

                 

                 駅前旅館はウナギの寝床のように奥の深い建物だった。昔の造りをよく残していた。

                 

                 朝飯はセブンで牛丼弁当。製造者名に「サンフーズ」とある。家(一宮市)からさほど遠くないところに会社があり、こんなところにまで運んできているのか。どおりでトラックの出入りが多いわけだ。

                 

                 柏崎市へ入る坂の手前にコメダがあった。家を出て初めてのコーヒー。名古屋の喫茶店文化のありがたさがこうして外へ出てみると分かる。

                 

                 あれから2時間後、峠越えでタイム。バテた。めちゃくちゃ暑い。一休み。

                 

                 参った。どこも宿が取れず、夜11時前にインターネット喫茶に転がり込んだ。こんなところは初めてだ。マンガ、新聞、雑誌、その他、シャワー、酒となんでもある。これならうけるはずだわ。

                 

                 今日は宿に引かれて、新潟駅前まで来てしまった。ここまで来ないと、インターネット喫茶がなかった。ホテルを探して長岡、燕、巻などにも寄ったが、みんなだめ。今日一日で150キロほど走った。面白い話がいっぱいできたが、また明日。さすがに疲れた。

                 

                ●8月12日

                 

                 ママチャリでも、よく走る。昨日は何人かのサイクラーに会ったが、みな感心していた。

                 

                 男性2人連れのうちの一人は「うちのジイちゃんより三つ年上」と言い、「ママチャリで日に100キロなんてワヤや」と言って笑っていた。

                 

                 一人で旅している27歳の女性がいた。この人は3か月間、旅する予定だという。主に道の駅で寝泊まりしているとのことで、これにはこちらがびっくりである。

                 

                 昨晩はほんとに困った。宿がなく、最後はラブホでもと考えた。

                 

                 いまラブホは人がいず、モニターでの案内だ。一夜6000円なら仕方がないと思ったが、みな満室。こうなったら、夜を徹して村上市までと走ろうと決めたところで、先ほどのネットカフェがあった。

                 

                 真夜中では走れなかった。道がむちゃくちゃ難しい。泊まれてよかった。天の助け。

                 

                 旅に出て、ろくなもの食べていない。昨日など、朝がコンビニ弁当、昼食がわりがコメダのモーニング、夜はおにぎり一つである。それほど必死に走っていた。

                 

                 期待した寺泊では宿が取れず、行けずに海鮮料理を食べそこねた。今日、新発田市の松塚漁港へ行ったが何にもなく空振り、村上市の岩船漁港で大正解。海鮮料理の定食1080円也。初めてのごちそうとなった。

                 

                 昨日はさすがに疲れた。早々と打ち切り、2時過ぎに村上市内の宿に入る。かろうじてあった、唯一の民泊だった。

                 

                 いまはお盆と夏休みで、海水浴場は大賑わい。宿が全然取れない。ここにある瀬波温泉にも当たったが、どこもかしこも超満員。すごい人だ。

                 

                 民泊のご主人がいい方で、あれこれと話し込む。リタイヤ後は古い民家を活用し、新しい人生を切り開こうとされている。町おこしにも頑張ってほしい。

                 

                 昨日は必死に走ったので、けつがひりひりする。この日の走行距離は約65キロと少ない。こんなこともある。

                 

                 新発田から胎内町を経て村上へ来る国道113号は地獄だった。海岸端を走るのだが何にもなく、ひどい目にあった。一時は熱中症で死ぬかと思った。

                 

                 両側に延々と続く松林。時々、左手に海が顔を出す。初めのコンビニをパスしたら、その後、まったく何もない。電気、水道などのインフラがないのだから、それも無理はない。

                 

                 水は飲み干し、のどはからから。海が垣間見えると、飲みに行きたい衝動にかられた。中国の故事を思い出し「近くに梅林があるぞ」と自分自身に言い聞かせた。

                 

                 もうダメかと思っていたら、前方に展望台の案内板。トイレがあるなら、水はあろう。期待した以上に自販機があった。

                 

                 ポカリを一本飲むと、生気がよみがえった。洗面所で空のペットボトル3本に水を入れる。「飲料にはなりません」とあるが、そんなことは問題ではない。

                 

                 ようやくピンチを脱出し、コンビニでガリガリ君を食べる。脇のセーネンはパンを食べている。聞けば九州の佐多岬から宗谷岬へ向かっていると言う。

                 

                 昨日は富山を出て新潟まで来たとか。信じられない距離だ。宗谷まで「6日かかるかなあ」と言ったのにも、これまたびっくり仰天である。

                 

                 普段は道の駅で野宿、疲れるとネットカフェだとか。確かに、似たような人が多かった。彼らにはこちらが頭を抱えている宿屋問題はなかった。今日の走行距離は約65キロ。

                 

                ●8月13日

                 

                 昨日のセーネンに教えられ、コンビニ弁当ではなくパンに。なるほど安上がりだ。民泊のご主人にいただいたとれたてのミニトマトやキウリ、モモ、それに珍味のサケの薫製もある。

                 

                 景色の良い海岸べりの日影で、海を見ながら食べる。コンビニの駐車場の隅で食べていたのとは大違い。これだぜ、自転車旅の醍醐味は。だんだんよくなる法華の太鼓。

                 

                 漁村のガレージ前で一服。奥さんが出てこられたので「雅子様(皇后様)ゆかりの地だそうですね」と話を向けると「そうなの、いつかは来られないかなあと言っているのよ」と。その後、話が弾んだ。

                 

                 少し行くと海岸絶景100選(?)の一つ、笹川流れ。どこもかしこも海岸線がきれいで、絶好の海水浴場になっている。景色はいい、砂浜は続く、海の水はきれいとあって、海水浴客をはじめ釣り客、ヤスで魚をとる人などで、ごった返すほどの賑わい。

                 

                 海を見ながら岩ガキをつまみに、生ビールをいっぱい。これだけのものは2年か3年たっているとのこと。おいしかった。

                 

                 暑くてたまらない。道の駅「あつみ」で刺身定食1400円を食べ、山側のあつみ温泉でひと風呂浴びる。熱かったけど、さっぱりした。やれやれ。

                 

                 昨日の海岸端とは大違いで、国道345号も7号も海辺を走った。向かい風はあったが、眺めは抜群だった。夕方7時過ぎに鶴岡市のネットカフェに到着。もはや宿泊問題は絶無となった。

                 

                 この日走ったのは、約85キロ。なんなく予定をこなした。この調子で行くと、当初考えていた20日も必要ではなさそう。

                 

                 朝も早く起きられるし、体力もついてきた。自転車を走らせながら、帰ったら朝刊の配達をやらせてもらおうかと考えた。立派な配達員になる自信はある。

                 

                 去年の四国は毎日のように台風が来た日もあった。ずぶぬれになりながら走ったが、その点、今回は天気に恵まれている。

                 日にペットボトルで10本以上の水を飲む。トイレの洗面所で補給し、まず買わない。いちいち買っていたら、その代金もばかにならないからだ。

                 

                 これだけ飲んでも、日中のトイレは小が2、3回くらいで、しかもそんなには出ない。その代わり真っ黄で、ドロっとした感じだ。大は1回でごくわずか。

                 

                 みんな汗で流れ出てしまっている。シャツやズボンはいつもべたべただ。額の汗が乾くと、塩の結晶になっている。まるで人間塩昆布みたいだ。

                 

                 でも、雨に降られるよりはいい。暑さと付き合うくらいの気持ちが必要だ。鶴岡市内に入ったときの夕暮れが見事だったが、ここへ来るまでの坂道は強烈だった。

                 

                ●8月14日

                 

                 今日は厳しい旅になる。疲れがたまってきたのか、あごに吹出物ができてきた。唇にはできても治ってゆくが、こちらは大きくふくらんでいる。

                 

                 それに今日は朝から暑い。左手に鳥海山がひかえ海辺を走ることになるが、道は右に左にともてあそばれてなかなか進めそうにない。ゆっくり休みたいけど、そんな宿がいまどきあるかどうか。

                 

                 昨日は少ない距離だった。それすらも、難しそう。今日は出発もゆっくりにした。

                 

                 体に痛みなどはなく、足もぜんぜん問題なし。気力も落ちているわけではない。どこまで行けるか、なにを見られるのか。

                 

                 酒田市まで来た。風が強く、橋の上では吹き倒されそうになった。9時前に32度とあり、今日もめちゃくちゃ暑くなりそうである。

                 

                 にかほ市というところに来た。道の駅が人でごった返している。食事もできない。沿道にあった3軒目の店でようやくありつけた。

                 

                 めちゃくちゃ暑い。頭がくらくらして、ふらつくほど。道路の照り返しも半端ではない(後から新潟で40を記録したと聞いた)。

                 

                 先ほどおばあさんに声をかけられた。「そんな格好でどこへいくの」。宗教の勧誘かと勘違いしたが、そうではなく、純粋に不思議に思えたらしい。

                 

                 事情を話すと、いきなり「偉い、あんたは第二の白瀬中尉だ」と言う。これにはこちらがびっくりだが、白瀬中尉がここの出身だったとは。いま70歳だそうだが、「元気もらった」「元気もらった」と言って立ち去っていった。

                 

                 由利本荘市まで来た。道の駅の隣に健康ランド「にしめ湯っ娘ランド」があった。天の助け、即、入店。

                 

                 今晩もまたネットカフェを考えていた。思ってもいなかった幸運。健康ランド、大好き。この日80キロほど走ったが、これで疲れもいっぺんに取れる。

                 

                ●8月15日

                 

                 ゆっくり休めた。いつもは朝の4時か5時に出ることが多いが、遅めの8時に出発。体も衣類もきれいになった。

                 

                 朝の4時はまだ暗い。日の出が5時過ぎくらい。だんだん明るくなり、朝焼けの中を走るのがいい。

                 

                 ジジチャリの速度が遅い分は長時間労働で補う。いまはやりの「働き方改革」とは真逆の発想だが、遊びとなるとこれも苦にはならない。一日10時間ほど走ることも多い。

                 

                 昨日、あのおばあさんが話しかけてきたのはおかしな身なりだったからか。よれよれの長袖シャツにジャージの長ズボン、それにサンダルばき。顔は真っ黒で白いタオルをひらひらさせ、その上に工場用の黄色いヘルメットをかむっている。あわれな落ち武者とでも思ったのかもしれない。

                 

                 今日の国道7号は海辺を通り、見晴らしが素晴らしい。適度な坂もあれば下りもある。向かうは秋田市である。

                 

                   ♪人生楽ありゃ苦もあるさあ

                     涙の中に虹が出る

                 

                 風が強い。立てておいた自転車が二度倒れた。台風10号、名古屋の方は圏内に入ったか。こちらは青天井だ。

                 

                 いま公園の片隅で遅い昼食。いただいたサケの燻製が残っているのを思い出し、これをつまみに日本酒でいっぱいやっている。うまいわ。塩気が強いのも、自転車旅にはうってつけ。これから能代に向かう。

                 

                 今夜の宿はルートイン能代になった。もっと安いところでもいいが、ここしかなかった。泊まれて一安心。7700円也。この日の走行距離110キロほど。

                 

                 こちらの調子はいいが、自転車にガタがきているみたい。一度、整備してもらわなくては。この旅行一番の功労者なのだから。

                 

                ●8月16日

                 

                 旅に出て分かってきたこと、いろいろ。

                 

                 一、信号機は雪が積もらないように縦型になっている。上から赤、黄、青の順。

                 

                 一、雪を避けるためか、バス停が立派な造り。長いベンチもあって、野宿するにもよさそう。

                 

                 一、国道脇には各所に駐車場「もしもしピット」がある。休憩や万一の場合に備えてのようだが、スペースがあるだけで、他にはなんの施設もない。

                 

                 一、日本海側には至る所に風車がある。こちらは風力発電への思いが半端ではない。

                 

                 一、ライダーが多い。チャリダーは少なく、いても10代、20代ばかり。バイクの中にはヘルメットを取ると、ジジイライダーもいたりする。ちなみに、この日のルートイン能代ではバイク4人、自転車1人。

                 

                 一、ライダーはリッチマン、チャリダーはプアマン。ライダーは肥えており、チャリダーはおおむねやせている。

                 

                 一、コンビニなどで会っても、バイクの人とは話さないが、自転車の人とは気軽に話し合うことも。ママチャリでしかも日に100キロ前後走っているのにはみな感心してくれる。年も聞かれれば言うが、知ってびっくりされることが多い。

                 

                 一、旅の仕方も、受け入れる施設側も、二極分化。真ん中で生き残るのは難しくなるのではないか。やる気のないところは生き残れそうにない。

                 

                 一、道の駅は少ないが、一つの施設が大きい。日帰り温泉施設を置いているところも目立つ。

                 

                 一、由利本荘市の人が「鳥海山はいまや富士山を抜いて日本で一番人気のある山だ」と言っていた。何の調査を根拠に言っておられたかは聞き忘れたが。

                 

                 一、いま東北地方が一番暑いのではないか。今日も9時には32度(道路表示)を越えていた。熱風が吹き付けてくる感じ。風炎現象はいつまで続くのか。

                 

                 一、こちらはケーズデンキが多い。名古屋では大したことないけど。ガソリンスタンドの宇佐美もよくある。さすが。

                 

                 朝方はよかったが、宿を出てしばらくすると、やはり降り出した。台風10号の影響で覚悟はしていた。百均で買ったカッパは持っているが役に立ちそうになく、なしでひたすら走ることにした。

                 

                 能代から弘前へはこれまでの海辺とは違い、海を背に内陸部へ入っていくことになる。ずぶぬれになりながら、約100キロ先の弘前をめざした。昨年の四国でも豪雨の中を走ったが、それに劣らぬ悲惨な走りとなった。

                 

                 気温はどんどん下がり、24度にまでなった。いつも食べるガリガリ君は一本も買っていない。弘前市内に入って持ち込みの酒をと思い、コンビニへ入ったところ、足が滑って見事に転んだ。

                 

                 サンダルが濡れており、危うく尻餅をつくところだったが、素早く左手が床にいって何事もなかった。あのとき、脇の商品棚に手をかけていたら、ひっくり返って大騒動になるところだった。歩くたびに店内がビショビショになり、モップで拭いてもらうように頼んだ。

                 8時前後にはネットカフェに着けるはずだ。横なぐりの雨で右耳に水が入り、立ち止まっては何度もタオルを絞ってふき取った。車が浴びせる水しぶきも加わって、右耳の中はまさに洪水状態だ。

                 

                 いくつも山を越え、やっとネットカフェに着いた。しかし、会員になった快活クラブとは店名が違っている。これではと思った矢先、反対側にルートインがある。天の助け、うまく泊まれることになった。大浴場で温泉にひたりながら「今日は頑張ったからご褒美だ」と自分を納得させた。

                 

                ●8月17日

                 

                 桜で有名な弘前城へ来た。いまは城曳きが売り物。石垣を改修するため、天守閣を引っ張って移動させたのだ。

                 

                   ♪岩木の下ろしが吹くなら吹けよ

                     山から山へとわれ等は走る

                 

                 どこからも岩木山が望める。しかし、山頂には雲が。天気がよければ脇に鳥海山も見えるとか。

                 

                 青森市へ向かう途中の道の駅「なみおか」で昼食。午後3時ごろに青森市に到着。健康ランドがあり、早々と泊まることに。この日の距離は40キロほど。骨休めだ。

                 

                 ここからフェリーで北海道へ渡る手もあるが、せっかくの機会だから、まさかり半島へ足を伸ばしたい。恐山と大間町が観光の目玉だ。

                 

                 宿はあるのか、取れるのか。フェリーでうまく渡海できるのか。分からないことだらけだが、当たって砕けろの心境である。

                 

                ●8月18日

                 

                 あおもり健康ランドでのチン騒動。2回目の風呂へ入ってから、ふと左腕に巻いたはずのロッカーの鍵がないのに気づいた。誰かが拾ったら、開けて持っていかれる可能性もある。入口に「盗難多発、ご注意を」と書かれていた。

                 

                 ロッカーには貴重品が入っている。中でも財布とスマホがなくなったら、お手上げだ。1秒でも早く知らせなくては……。

                 

                 慌てて係員に連絡をと思うのだが、こんなときに限っていない。裸でフロントまで行こうと決断したとき、通路を女性の係員が横切った。「あの、すみません。大変なんです」。事情を話すと、フロントへ駆け出していった。

                 

                 若い男の係員が網を持ってやってきた。状況を説明すると「なくすと5000円いただきます」と言う。それくらいはいいから、盗まれていないことを願うばかりだ。

                 

                 彼は「排水口に来ている可能性がある」と言う。2人で各風呂を四つんばいになって、手探りで探すことになった。いま思えば他の客からは裸で泥鰌すくいでもしているのかと思われていたかも。

                 

                 結局、探してもなく、閉じられていたドアをマスターキーで開けてもらった。中にそっくりあったのを見て、胸をなでおろした。そして、空いていた隣のロッカーへ移し替えることになった。

                 

                 ひとまず安心してビールを飲んでいたら、マイクで呼び出しがあった。中年の男性が拾い、届けてくれていた。悪い人はいないと感謝感激のひとときとなった。

                 

                 この日は風呂から出ては飲み、夕食時には2本、計6本ビールを飲んだ。鍵代の5000円は要らなかったが、同じくらいの出費となった。でも、あって本当によかった。

                 

                 腕に締めるのがゆるく、しかもバンドの先端を輪に通していなかった。それで知らぬ間に抜け落ちていたらしい。いい加減の止め方ではためだと、つくづく反省させられた。

                 

                 横浜町は下北半島の中ほどにある。ここでもホタテの養殖が盛ん。道の駅でホタテ丼を食べる。煮ても焼いても揚げても、やはりうまい。

                 

                 今は昔、初めて六ヶ所村に入り、30数年前のことを思い出した。「100%名古屋人」がまぐれ当たりし、ちょっとは話題になっていたころのことだ。

                 

                 東京のプロダクションから取材の依頼があった。聞くと同村にある原子燃料サイクル施設のルポをお願いしたいという。当時はPRに莫大な金が出されていた。

                 

                 仕事の内容を知って断った。いい条件を出されていたが、まったくやる気にはなれなかった。村内を走っていて、ふと昔あったこんな話が思い出されてきた。

                 

                 横浜まで来られたら御の字と思っていたが、昨夜のビールが効いたのか、むつ市まで来てしまった。この日の走行距離は約100キロ。遊びとなると、全然疲れない。

                 

                 この町にも美味そうなものがいっぱいあった。卸売市場に設けられた産直市場。しかし、もうそんなに食べられないよ。

                 

                 明日は恐山からマグロの大間だ。次の日、そこからフェリーで函館へ。いよいよ旅は佳境に入ってきた。

                 

                ●8月19日

                 

                 宿を出た国道の標識に恐山へは16キロとある。それくらいなら軽いもんだ。いささかなめていた。

                 

                 まず最初は道を間違え、違う山の方に上って行ってしまった。大湊の海辺まで下り、もう一度やり直した。スマホで確認するのだが、これがまた変な道を案内する。

                 

                 迷った挙げ句、登り口が見つかった。しかし、車どころか人も全然通らない。道路脇に「拾一番」「拾二番」などと彫られた石仏があるところを見ると、参道であることは間違いない。

                 

                 急な坂道の連続で、場所によっては自転車を引きながら、1時間ほど登った。汗は噴き出すわ、心臓はバクバクするわ、で大変なことになってきた。スマホを見るとお寺にはまだ2時間弱かかるとある。

                 

                 だれ一人として来ないのは、遠回りの旧道だからか。考えてみれば、恐山は阿蘇山と同じカルデラの山で、自転車を引いて登れるようなものではない。下りてきて地元の人から「あれが山の頂上だ」と指を指されて絶句した。恐山、恐るべし。

                 

                 こんなわけで一番興味を持っていた恐山には心ならずも途中でギブアップすることとなった。自転車を捨て、バスで登るべきだった。考えが甘かった。

                 

                 恐山から下ってくると、昨日いたむつ市内に入った。田名部神社の大祭に当たっており、街は大賑わいだった。

                 

                 われわれから見ると、山車そのものは失礼ながら大したものではなかったが、それでいいのだ。夜が見栄えもして、いいらしい。祭りのさびれるような町に未来はない。元気があっていい。

                 

                 むつ市は負けた会津藩が移転し、斗南藩を創設した地だ。これには興味があり、資料館を探した。しかし、ないと知り、がっかりした。

                 

                 ママチャリで名古屋を出て13日目、とうとう本州の最北端、マグロの一本釣りで有名な大間に着いた。天気はいいが、風が強かった。この日走ったのは約60キロ。

                 

                 自転車もよく頑張ってくれている。しかし、タイヤ、特に後ろはかなりすり減り、また、走るとキイキイ音を立てるなどガタがきている。点検をと思うのだが、その自転車屋さんがなかなか沿道にない。

                 

                 今晩は大間温泉海峡保養センターに泊まった。初めての予約宿泊で、用意された晩飯にありつけた。魚がめちゃくちゃうまい。

                 

                 お盆を過ぎ、予約しやすくなった。暑さも峠を越えたようだ。明日は北海道に渡ることになり、旅も終盤に近ずいてきた。

                 

                 泊まった宿は町営の施設だった。温泉の温度が通常より高いそうだ。いまは感じなかったが、町民の大半が漁師で、冬場が特にそうらしい。このへんの町は合併していないところを見ると、財政的にも裕福なのかもしれない。

                 

                ●8月20日

                 

                 泊まった大間の保養センター近くに、フェンスで囲った警戒厳重な地域があった。むつ市の大湊には海上自衛隊の基地があったが、これも自衛隊関係かと思っていた。それにしても異様な感じだ。

                 

                 近くに居合わせた人に聞くと、「原発の施設でほぼ出来上がっている」と言う。いまごろ原発を建設しているのか。山で隔絶されたところではなく、住民の暮らしに近いこんな場所に。大間町は進んでそれを受け入れたとは。

                 

                 知らなかった。別の人は「ありがたくはない」と言い、「反対する町民もいる」とのことだが「できてきてしまった」とのこと。マグロだけでは食べていけないというのか(この状況はネットで把握できた)。

                 

                 自転車旅をしていると、「バイクにしたら」とか「アシスト付きならもっと楽なのに」などと言われることもある。が、これがこだわりどころだ。純粋に自分の力で走りたい。

                 

                 ママチャリ(変速機付き)はいい。殿様乗りだから、周りの景色を楽しめる。同じ自転車でもこれがドロップハンドルでは、そうもいかない。真っ直ぐな姿勢で悠々と走り、ときには道端で昼寝することもある。

                 

                 ただし、絶対に転んではいけない。転べば大事故につながりかねないからだ。新潟ではバイクの人がはね飛ばされ、事故処理で国道が閉鎖されていた。とても他人事とは思えなかった。

                 

                 昼食はマグロ丼、2000円也。前の1000円丼とは大違い。ご飯を食べ終えても、マグロがあまってしまって。以前に食べたイクラ丼はイクラがこぼれ落ちるほど盛られていた。

                 

                 町内を散策。大間稲荷神社と法香寺があった。こちらでは稲荷が多いようだ。寺は真宗大谷派(東本願寺)だった。

                 

                 西本願寺は朝廷側、東本願寺は幕府側。明治維新で東本願寺は新政府へ献金して接近を図る一方、北海道への布教に力を入れた。こちらも東本願寺が多いのだろうか。

                 

                 神社もお寺も建物にはなかなかこった彫刻が施されていた。作風が名古屋などのものとは違っている。でも、よくできている。

                 

                 町を散策中、「斗南藩資料館」の看板を発見。どうして、こんなところに? 入館料500円。ご主人の祖父は会津藩の書記をしていた関係で、いろいろなものがある、とおっしゃった。私設の資料館だがいいものがいっぱいあり、また、その話も面白かった。

                 

                 ♪はあーるばる来たぜはーこだてー、と歌いたいところだが、着いたら土砂降りの雨に、頭の上では雷が光るわ鳴るわ。ずぶぬれになって、駅前のルートインに入った。泊まれてよかった。ここの名称は「グランデァ」が付き、サービスの朝食がなく、しかも8100円と高い。

                 

                 フェリーの中で名古屋からバイクで来た人に出会った。話していると「自転車も好きで自転車高齢者の会をやっており、会員の平均年齢が72だ」とのこと。仙台まではフェリーで来ての旅だそうが、もう一人、岐阜の青年は自宅から3日で来たと言い、日本を一周すると予定だとか。えらい走り屋だった。

                 

                 北海道上陸は水をさされた格好だが、これからが北海道の本番だ。ここ数日は天気が悪いようで、それが気がかりではある。明日はどこまで行けるのか。

                 

                 ルートインで一風呂浴び、街の散歩に。駅前は異常なほどホテル多い。

                 

                 函館の前には先ほど来た津軽海峡がある。高い山のある麓の宿場は足止めをくい、旅籠が旅人で繁盛したのと同じ理由か。そう言えば、北海道新幹線もここが発着駅だ。

                 

                 駅の近くのどんぶり横丁で、ウニイクラ丼を食べる。2214円也。ウニは時期はずで食べられないかと思っていたが、いくらでもあるみたい。

                 

                ●8月21日

                 

                 朝から雨。カッパをはおって5時過ぎに出発。カッパは役に立たないが、寒さしのぎになる。手足が冷たいほどだ。

                 

                 今日中に尾張藩士らが開拓した八雲まで行きたい。8時ごろには雨も小降りとなり、やがて止んだ。覚悟していたので、これはもうけものだ。

                 

                 国道5号は新道沿いの方を通り、遠回りになってしまった。雨は止んだものの、秀峰駒ヶ岳は見られなかった。森町まで来れば、半分くらい来たことになる。

                 

                 途中に蒜(にんにく)何とかという地名が出てきた。ニンニクは青森の特産だったが、こちらでもそうなのか。脇の畑一面にニンニクとネギが植えられ、ぷんぷん臭いを漂わせていた。

                 

                 あわやあの世行き、国道5号での恐怖——。

                 

                 森町を過ぎた5号でのこと。道路の白線に沿うように3、4センチほどのくぼみが不規則に続き、ハンドルを取られて右側に倒れそうになった。交通量が多いところだけに、倒れたら即あの世行きだ。

                 

                 だから何が何でも、絶対に倒れない、倒れかけても復元する根性でいる。しかし、危険はあちこちに潜んでいる。路上に小石やゴミがある、亀裂やくぼみがある、中には溝のようになっているところもある。

                 

                 車両側に倒れそうになり、とっさに右足を着き、反対側に自転車を戻した。これで危うく事故をまぬがれたが、あのときハンドルの操作を失ったままでいたら、大事故になるところだった。

                 

                 しかし、サンダルからはみ出していた親指が地面に接触していた。爪先が黒血になった。でも、これくらいのことで終わり、本当によかった。

                 

                 その後、これまでにない恐怖感に襲われた。スピードをゆるめ、慎重に走るようになった。いま思い出しただけでも背筋が寒くなる。

                 

                 ピンチは続いてやってくる。自転車の後輪がガタガタしだした。見れば、空気が抜けている。大間の宿で入れたばかりなのに、釘などでも踏んだか。

                 

                 それにタイヤの減り方が激しい。乗らないわけにもいかず、漁師さんの家で空気入れを借りた。抜けないうちに、八雲にまでたどり着きたい。

                 

                 入れるのも、八分目まで。入れすぎると、パンクしかねないからだ。そんな状態で、必死にこいだ。

                 

                 しかし、10キロも走らないうちに抜け、ガタガタしてくる。今度は道沿いの会社で借りて入れ、次はドライブインでホタテ丼を食べてお借りした。空気入れを引き継ぐ、とんだ一人駅伝競走となった。

                 

                 こうしてどうにかこうにか八雲の自転車屋さんにまでたどり着いた。予定していたより1時間以上も早く着いてしまった。怪我の功名とはこのことか。

                 

                 その川口自転車屋さんがまたいい人だった。曽祖父が尾張藩の武士で、最初のグループで入植したとか。タイヤとチューブを替え、点検整備までしてもらっても4800円しか取ってくれない。

                 

                 以前、別の店では8000円した。お礼の言いようもない。世の中、いい人ばかりだ。

                 

                 早く八雲へ来たので、あちこちを見て回ることができた。その中から八雲を育て上げた徳川義親公の像、八雲の歴史を伝える資料館、それに現在の春日井市出身で財を成した梅村氏の屋敷と庭園などを見た。

                 

                 自転車と姿形で分かるのか、ある人から「あなたは昨日から来ているのか。よく見かけるが」と言われてしまった。まだ来たばかりなのに。しかし、小さな町なので、よく出会うことは確か。散策にひときわ力が入った。

                 

                ●8月22日

                 

                 今日はひどい日になりそうだ。でも、少しでも前に行きたい。内心、ジジチャリ魂の見せ所だと思っている。

                 

                 神奈川からきた17歳の少年と出会った。約4ヶ月かけて日本を一周するという。教室よりも得るものがあるのではないか。

                 

                 テント持参で、自炊しているそうだ。1日3000円で押さえるのが目標だとか。こちらについても聞かれたが、披露すると「そんな自転車で日に100キロも走るなんて、信じられないですよ」と言っていた。

                 

                 八雲から国道5号で北上する。雨はまだ降っていないが、風が台風にも似て強い。海から吹き付ける横なぐりの風だ。

                 

                 これはまだよかった。長万部で室蘭方面へ行く国道37号に右折する。そこまで約120キロ、昨日は60キロ走っただけだから、今日は走りに徹するつもりだ。

                 

                 今度は正面からまともに吹き付けてくる。とうとう雨も降り出した。雷注意報も出ていたが、風神雷神が寄ってたかって「北海道をなめるなよ」とでも言っているかのようだ。

                 

                 地図で見ると海辺を走っているが、山側へ入るところも出てくる。走る道の隅もよくなく、昨日の二の舞だけはごめんだ。休んでいる暇もなく、必死に自転車をこいだ。

                 

                 雨が止んだので、峠でカッパを脱いだ。前のかごの上に置いたとたん、風に吹き飛ばされた。下からの風を受けて舞い上がっていったが、それはまるで天女の羽衣のように見えた。

                 

                 洞爺湖町を過ぎ、4時前に伊達紋別に着いた。先ほどから雨は止んだが、室蘭へはまだ40キロ弱ある。ここで泊まろうかと弱気なった。

                 

                 しかし、気持ちを奮い立たせた。遅くなっても初心の室蘭までだ。腹は決まった。また降り出した雨の中を、ずぶぬれになりながら走り出した。

                 

                 それから約4時間、8時前に東室蘭駅前のルートインに到着。体が寒く、大浴場をこんなにありがたく思えたことはない。宿賃9500円也(なぜかだんだん高くなってくる)。

                 

                 難行苦行、これまでの中で一番苦しむ日となった。こんな日もある。今日走った距離は約120キロだが、200キロくらいのエネルギーを使った感じだ。

                 

                 ところで、自転車の速度はだいたい15キロ前後。時速20キロも可能だが、長続きさせるのはまず無理。地形も平坦な尾張平野を走っているのとは大違いだ。

                 

                 上りの山道では時速5キロさえ難しいこともある。しかし、坂は案外好きだ。自転車をこげなくなったら、引っ張ってでも歩く。

                 

                 上り坂の苦労には下り坂のご褒美がある。坂が厳しければ厳しいほど、それは大きい。まさに自転車の醍醐味だ。

                 

                 下りは時速40キロから50キロくらいになるか。長い下り坂は走っているというよりも、空を飛んでいるような感じだ。これがあるからたまらない。

                 

                ●8月23日

                 

                 こちらから進んで名古屋から来たとか、年は76だとかは言わない。しかし、異様な格好から、聞いてくる人は多い。宿屋でも住所や年齢を書くと、「愛知からこの自転車で?」と不思議がられてしまう。

                 

                 そんなに大したことではない。船で会った名古屋自転車高齢者の会?の人は会員に84の人がおり、その人は「今度、オーストラリアへ走りに行く」と言っていた。それくらいでないと、驚くに値しないのではないか。

                 

                 こちらは80までに日本を一周する計画を立てている。昨年、四国一周をやり、来年の夏は九州だ。だんだんやり方が分かってきたので、若者たちのように野宿を中心にしてみたい。

                 

                 ただ、ママチャリに似た自転車で走っている人は皆無だ。今日もフロントで「愛知の人がまさかこれで」と感心と狂気の入り混じった表情をされていた。

                 

                 だれもやっていないから面白い。あの17歳の少年からも「もっと高級なものにしたら楽ですよ」と言われたが、やっぱりこれが気に入っている。ジジチャリで日本を一周したら、自転車の旅は終えるつもりだ。でも、80を過ぎてもまだ元気だったら……どうしよう?

                 あいかわらず雨が降っている。午前8時、その中を出て、苫小牧を目指すことに。今日の距離は60キロで大したことはない。

                 

                 国道36号は昨日と違い、海辺を走っていた。なんでもないコースだが、激しい雨で水たまりができている。これが危険だ。

                 

                 その下に穴や溝などがあれば、大事故につながりかねない。避けようとすれば、車線側に接近することになる。いつも以上に神経を使うことになった。

                 

                 ずぶぬれと低温で、寒さが身にこたえる。途中、スマホで調べようとしたが、指ががたがた震えて入力に苦労した。

                 

                 いまフェリーは隔日運航で、今日の出航はない。午後3時前に苫小牧駅前のルートインに着いた。船出は明日の午後7時だから、めずらしくゆっくりできる。

                 

                 北海道最後の夜となった。思えば、よく来たものだ。北海道入りして天気にはまったく恵まれなかったが、これもまた旅のいい思い出となりそうである。

                 

                ●8月24日

                 

                 久しぶりの日差しだ。苫小牧は王子製紙の企業城下町か。自転車で町を遊覧したが、市街地にはパチンコ屋が多い。

                 

                 港が元気だった。漁港に隣接して大型船の出入りする港がある。苫小牧港は一大海運基地となっており、北海道へ出入りする物資の半分以上を占めているとか。

                 

                 卸売市場のそばにお魚広場があった。おいしそうなものがいっぱい並んでいる。地元の特産である焼いたホッキ貝を肴に生ビールをいっぱい。その後、ウニ、カニ、ホッキ貝の三色丼を食べる。これが最後のぜいたくか。

                 

                 いま苫小牧のフェリー埠頭に来た。太平洋フェリー「いしかり」に午後7時に乗船、いよいよ北海道を離れることに。今回の旅で北海道と東北とでは天気が大違いだった。

                 

                 東北ではかんかん照りで熱中症を心配し、食べ過ぎと思いながらも、ガリガリ君を日に4本も5本も食べていた。中には40度を記録した日もあった。当然、景色を堪能することもでき、楽しい日々が続いた。

                 

                 下北半島の大間からフェリーで函館に着くと、土砂降りの雨と激しい雷鳴。思わぬ歓迎に驚いたが、まさか八雲にいたひとときを除き、全部雨にたたられるとは思いもしなかった。夏とは思えぬ寒さで、ガリガリ君どころではない。

                 

                 しかし、これも旅である。雨の降る日は雨の中を、 日照りの日には汗を流し、そんな自然の中に身を置きたい。相田みつをならこう言いそう?だが、これに「動物だもの」を付け加えると一層そんな感じになってくるか。

                 

                 北海道でグルメ旅を期待したものの、それどころではなかった。これはちょっと悔しいが、致し方のないこと。食いっぱぐれたということまで、旅のいい思い出として残りそうだ。

                 

                 船は名古屋に着くまでに約40時間、2日近くかかる。ちょうど予定していた20日間だ。仕事柄、締め切りには強い。

                 

                   水戸黄門主題歌三番

                 

                   ♪人生涙と笑顔あり

                     そんなに悪くはないものだ

                     なんにもしないで生きるより

                     何かを求めて生きようよ

                 

                 名古屋を出てジジチャリで苫小牧まで。この旅を無事に終えられてうれしい。多くの方々にお世話になった。

                 

                 フェースブックを読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。少しは旅の雰囲気にひたっていただけたでしょうか。みなさんの書き込みが大変励みになりました。

                 

                 多くのドライバーの方々、思いやり運転、ありがとうございました。あなた方のやさしさに大感謝です。おかげで無事に帰ることができそうです。

                 

                 自転車もほめてやりたい。お前が陰の主役だった。一時はあわてたが、よくぞ乗り切った。おつかれさま、ごくろうさん。

                 

                 最後に留守をしてくれた女房へ。何気なくくれたお守りが二度のピンチを救ってくれた。ありがとう。

                 

                 そして、宿で世話になった方々、道中で出会った多くの人たち、ありがとうございました。おかげで楽しい旅ができました。

                 

                 26日午前10時半、名古屋港に着岸。家までの30キロはウイニングランとなった。走ってみれば、四国一周2000キロよりも600キロ少なかった。

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                75ジジイの四国一周自転車旅行
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                   後期高齢者突入を記念して行った四国一周自転車旅行については、日々、小生のフェースブック「舟橋武志」で写真と動画によってお伝えした。詳しくはそちらをご覧下さい。無事に帰ることができ、改めて原稿にまとめてみた。



                  ●自転車で走るにちょうどよい広さ

                   今年、後期高齢者に仲間入りした。人生も終末期に入っており、ここで何か一発しておかないと、そのままずるずると行ってしまいそうな気がしてきた。そこで、新年に立てたのが自転車で四国を一周するという目標だった。

                   実は26歳と56歳のとき、四国を自転車で旅行している。当時と比べると、自分の体調も四国の風物も、どれほど変わっているのか、にも興味がわいてきた。もう若いころのような走りはできないが、年相応のやり方があるのではないか。

                   四国というのは広くもなく狭くもなく、自転車で回るのにちょうどいい加減の大きさである。そこに霊場が開かれたのも、素直に納得がいく。各地に似たような霊場はあるが、四国ほどよくできたところはない。

                   何よりも海を渡った先にある、大きな島というのがいい。陸続きのままではメリハリに欠ける。この世の苦しみを乗り越え、海を渡って極楽の世界へ、というわけである。

                   楽をして高松から始めるという手もあるが、そこへ行くまでの苦労を味わう必要がある。8月4日に家を出て、帰ってきたのが27日、24日間の自転車旅行となった。直前に膝関節症にかかったが、このときを逃してはもうできそうにない。

                   自転車は30余年乗ってきたボロチャリ。19年前に行ったときと同じもので、その日の出で立ちも長袖のシャツにジャージの長ズボンと普段着のまま。足元はサンダル履きで、どこかのジッサがちょっと外出でもしてくるか、といった感じである。

                   1日目は大垣、米原と来て野洲(滋賀県)に宿泊、2日目は神戸に着き、フェリーで高松入り。以降、時計回りに徳島(8日)→室戸岬(12日)→高知(14日)→足摺岬(16日)→宇和島(19日)→松山(20日・23日)と四国周辺をなぞり、西条(愛媛県)からフェリーで大阪南港に帰ってきた。

                   この間、他の岬にも足を延ばした。四国最東端の蒲生田(かもた)岬(徳島県)、弘法大師も見残したという高茂(こも)岬(高知県)。しまなみ海道も走ったが、折からの台風で途中、あきらめざるを得なかった。

                   今回は台風に次々と襲われ、3分の1ほどが雨にたたられた。前の2回は2日か3日あった程度だ。どんな雨のときも合羽をまとうことなく、ずぶぬれになりながら走った。

                   国道56号で高知から中土佐(高知県)へ向かうときも雨だった。後から来た軽トラが止まり、運転手が降りてきた。「後ろの荷台に乗ってけ」と言われたが、ありがたく言葉だけをいただき断った。

                   それからしばらくしてのこと。「七子峠 7キロ」の表示が出てきた。思い出した。最初の自転車旅行のとき、夜中に通った恐怖の峠だ。

                   厳しい坂を分け入るごとに、雨は激しく降ってきた。自転車をこげるような坂ではない。おまけに頭上では稲光がし、ゴロゴロ雷が鳴り出した。

                   以前のときは晴天だったが、夜の峠越えになっていた。ここでおびただしいほど乱舞するホタルの群れに出合った。漆黒の闇の中で見るホタルの大軍は猴ゲ蹲瓩箸猊情瓩鯆未蟇曚靴読垉ぬだった。

                   越しても越しても、山が立ちはだかってくる。頂上は雲の中に隠れて見えないが、道はその近くまで上ってゆく。土砂降りと雷鳴の中、2時間以上もかかり、ようやく峠を越えることができた。

                   すでに時計の針は7時を回っている。いまごろ泊まれる宿は37番札所、岩本寺くらいしかあるまい。ずぶぬれになりながら駆け込むと、宿坊のおばさんは「まず風呂に入れ」「着替えをしなさい」とやさしく迎え入れてくれた。

                   窪川町の地名が懐かしい。平成の大合併でいまは四万十町となっている。隣接する四万十市とは別の自治体である。

                   四万十と言えば、清流で知られた川だ。前回、新川みのじ会の仲間と落ち合い、源流から河口まで自転車で下っている。あのときののどかさが懐かしく思い出される夜となった。

                   この旅のもう一つの目的は狎仟なの寄進王甍貌h濛翁の線香立てや花立てを確認することにあった。前回のときにはまだ多く見られたが、今回は牴滅的瓩箸盡世┐襪曚匹覆なっていた。

                   どの寺も立派になった。その建物には萬蔵翁の古い寄進物では似合わないのだろう。屋島寺では大師堂の後ろにかろうじて保管されていたが、多くは住職も代わって存在したことすら忘れられてしまっている。

                   国道とはいっても、歩道のない道が多い。トンネルの中はどこも暗く、自動車の轟音がすごい。恐怖にかられながら「もし転倒でもしたら即、あの世行きだろう」と緊張したものでる。
                   
                  ●行き当たりばったりの宿屋選び

                   宿は前もって決めていない。決めたとしても、そこへ行けるかどうか、分からないからだ。パンクや事故でもしたら、予定が大幅に狂ってしまう。

                   午後3時を過ぎると、そろそろ宿が心配になってくる。スマホで予約を取るのだが、今回はこれがなかなか難しかった。前2回は着いた小さな集落にも、民宿などがそれなりにあったものだ。

                   しかし、今回はだいぶ事情が違っていた。名前はあっても営業していなかったり、中には電話の通じないところさえある。やっと見つけても素泊まりだけ、というところも結構多かった。

                   以前と比べると、ここにも地方の疲弊が実感できた。人里離れた道路沿いにはドライブインや飲食店、ガソリンスタンドなどの廃墟が目に付いた。インバウンドも民泊も、四国の地方では無縁のようである。

                   人口は最盛期よりも半減したというところもめずらしくなかった。19年前、海辺の食堂で小学3年生の坊やが店を手伝い、「ぼくね、今日、ウェットスーツ買ってもらったよ」とうれしそうに言っていた。

                   訪ねると年老いた両親は磯焼きを売り物に営業されていたが、息子さんについて聞くと「いまはサラリーマンをしている」と寂しそうだった。よくなったのは道路とトンネルと橋だけといった感じだ。

                   この旅はご馳走攻めとなった。こちらは糸の切れた凧であり、首輪のはずれた飼い犬である。何をしようがお咎めなしで、家では堅く禁止されてきたビールも、朝から堂々と飲める身分になった。

                   わらでいぶしたカツオのたたきがこたえられない。タイ飯やタコ飯がうまい。宿では新鮮な魚介類がどんどん出てきた。

                   高血圧に糖尿、腎臓、痛風と病気持ちの身だが、走っているとそれらを忘れさせてくれる。体調は尻上がりによくなり、膝の痛みも脇腹の鈍痛も、うそのように消えた。

                   滝のように汗を流し、自転車をこぎ続けている。もはやだれもビールを飲むのは止められない。一日に平均5、6本は飲んでいただろう。いくら飲んでも翌日に持ち越すという日は一日とてなかった。

                   竜串(高知県)の旅館の人からお膳を返したとき、「あれ、エビはお付けしていませんでしたか」と聞かれた。立派なのがあったが、頭も尾もみんな食べてしまっている。それどころか、どんな魚の骨も、食べるというのが常だ。

                   膝関節症で整形外科へ行った折、400円で骨密度が測れると知った。検査結果を見た先生は「若い人よりもすごい」と感心された。そこには腰椎105%、大腿骨122%と記されていた。

                   先生はどうせ骨粗しょう症だろうと診ておられたにちがいない。驚きの表情で「何か特別のことをしていますか」と聞かれた。膝は悪いがここぞとばかり、「魚の骨はみんな食べている」と言い、先生をまたまた感心させたのだった。

                  ●自転車旅行のやりくり経済学

                   この旅の予算は1日1万円である。が、これを守るのはなかなか難しい。続けてゆくうちに、切り詰める手をあれこれ考え出した。

                   熱中症を防ぐため、水やポカリは必需品だ。ひどいときはコンビニがあるたびに立ち寄っていた。世話になっている宅配便のドライバーが「1日に4リットルは飲む」と話していたが、炎天下を走っているとそれどころではない。ペットボトルにして10本、6リットルほどを飲んでいた勘定になる。

                   これはバカにならない。1日に水だけで1500円前後が消える。ビールに換算すれば2、3本飲めることになるし、4、5日分貯めれば一夜の宿泊代にもなる。

                   そこで朝は宿屋を出るときに、日中は道の駅や公園などで、空のボトルに詰めることにした。常時、3、4本は持つようにし、その後は一切、これに金を出すことはなくなった。コンビニに立ち寄る回数も極端に減った。

                   氷の誘惑も断ち切った。観光地では一杯500円か600円くらいする。これだけでビールが飲めるほどで、そう思えば食べるのを我慢できた。

                   こうした我慢料が食事時のビールになった。気が付けばビールばかりを飲んでいた。各地に地酒もあったし、家では芋焼酎だけだったが、ダラダラ汗を流した後に飲むビールの味は最高だった。

                   相も変わらず長袖シャツに長ズボン姿だが、顔や手の甲、サンダル履きの足は真っ黒に日焼けしてきた。顔はサングラスで目の回りが白い犁侫僖鵐性瓩箸覆蝓▲悒襯瓮奪箸里劼發寮廚こめかみからあごにかけて白くついている。われながら、すごい形相になってきた。

                   泊まったところは様々だった。一番高かった旅館が1万3000円で、さすがにこれはもったいないと思えてきた。普通は2食付きで1泊7000円前後、素泊まりでは4000円くらいとなる。

                   宿泊先では宿帳を書くことになるが、年齢を知ってまず感心される。しかし、だんだんそうではないと分かってきた。ここで倒れられたり病気にでもなられては……との思いからか、何だか無事に早く送り出したいような雰囲気が感じられないでもない。

                   当方としてはそんな不安にさせないためにも、空元気ぶりを見せなくてはならなかった。いい年をしたジジイが古くさい自転車でやってきて、行き倒れになったり事故を起こしていたのでは、四国の方々にとってこれ以上の迷惑はない。それに気付いた以降、年はあまり言わないようにした。

                  ●目から鱗、ママチャリ恐るべし

                   自分の体は心配したが、まさか自転車が壊れるとは思ってもいなかった。行き付けの自転車屋さんに点検してもらい、タイヤやチューブなど悪いものは交換もした。古いとはいえかつての高級車で、死ぬまで使えると思っていた。

                   高茂岬の石垣集落で知られる外泊(そとどまり)へ向かっていたときのこと。急な坂の連続でチェンジが壊れ、後ろの車輪が動かなくなってしまった。前進することもバックすることもできず、後ろを持ち上げるようにして1キロほどを、出発したばかりの旅館に向かって歩くはめとなった。

                   あいにくの日曜日なのに、自転車屋さんが車で駆け付けてくれた。ここでは直せないと分かり、自転車とともに同乗することに。1時間ほど懸命に取り組んでくれ、切れそうになっていたチェーンも換え、どうにか直った。

                   しかし、店を出て1キロほど来たところで、また動かなくなった。自転車屋さんは古いもので部品がなく、半ば応急処置といった感じだった。今度は前とは違い、クランクが固定されてしまい、どうにもならない。

                   それから宇和島(愛媛県)までの約50キロ、自転車を引いて歩くことになった。もうこの自転車は直せない、ママチャリでも買おう……こんな思いにさせられ自転車屋を探すのだが、山を越え海辺を歩き、そんなことを幾度か繰り返しながらも、自転車どころか集落もまれである。

                   4時間ほどかけ、宇和島まで来た。幸い、宿屋も自転車屋もあった。翌朝、自転車屋さんで診てもらうと「部品がないので直せない」と、先の自転車屋さんと同じ見立てだった。

                   ここでちょっといいママチャリを買うことに。登録料や廃車料などを含め、3万円ほどだった。思わぬ出費となったが、それ以上に長年連れ添ってきた自転車と別れるのは辛かった。

                   考えてみれば、人生の半分近くを供にしてきた。前回の四国一周旅行もこの自転車でした。自分の歴史や思い出をいまここで捨てるのかと思うと、複雑な気持ちになってくる。

                   パンクはあり得るかもしれないと思ったものの、乗れなくなるとはまったくの想定外だった。ママチャリで帰ったら、女房はどんな顔をするだろうか。送り出した息子が女になって里帰りするほど、びっくりするにちがいない。

                   これまでママチャリを見くびっていた。乗ってみれば、めちゃくちゃ楽だ。前のものでは上れなかったような坂道も、これなら難なく上ってゆける。

                   ものを大切にするとか、古いものにこだわるのはよくない。それは時代や技術の進化を認めないことになる。日ごろの愛着心から捨てるとは考えもしなかったが、後期高齢者としての今後の人生はこのママチャリとともに歩んで行こう、と前向きに考えるのだった。

                  ●東本願寺前の「おこや」に泊まる

                   伊予西条(愛媛県)からオレンジフェリーで大阪南港へ向かうことにしたのは、昼食をしたときに出会ったおじさんの言葉からだった。「ここから高松への道はそんなに面白くもない。いまにフェリーはなくなるだろうから、乗れるうちに乗っておいては」。前回、高松へは国道11号を通って行っている。

                   急きょフェリーに変更、四国を去ることに。いろいろなシーンが思い出されてきた。お会いした人たちの顔が浮かんでくる。四国一周を達成したという満足感と、立ち去る寂しさが複雑に同居していた。

                   22日の朝、6時に大阪南港に到着。その日の夜は京都で泊まることにした。東本願寺前には古くから信者向けの安宿がある。面白いことに国別・地域別にあり、参拝者はそれぞれ関係する宿を利用するケースが多い。

                   最初に訪れた「ちた」というところは満員だった。ゲストハウスとして変身し、外国人の利用者でにぎわっていた。幸い、富山の「とみな詰所」というところに泊まれることになった。

                   実は、筆者は東本願寺、浄土真宗大谷派の寺の生まれだ。小学4年のとき、父に連れられてここの本山で得度している。確か泊まった宿は「尾張屋」と言っていたと思うが、宿の主人の話によると、いまはもうないらしい。

                   高校に入ったころ、父に「寺は継がない」と宣言した。父は日ごろの言動から察していたのか、その場で「お前の人生だから」と認めてくれた。得体の知れない重しがその一言で取れたように感じたものだ。

                   それから数十年後、通夜の席で叔母から「あなたが跡を継がないと知って、お父さんは随分悲しんでいたわよねえ」と語りかけられた。もし逆の立場だったら、あれほどきっぱりと許せたかどうか。その後は「考え直せ」とか「決めるのはまだ早い」などと一言も言わなかった。

                   その父や祖父母が本山へ参るとき、泊まっていたところがいま「詰所」と言われるこうした安宿だった。当時「おこや」「おこや」と聞かされてきたが、ご主人から「御講屋」から来ていると教えられた。素泊まりながらも、人間味にあふれる接待ぶりだった。

                   四国ではビジネスホテル、旅館、民宿、宿坊、健康ランドなど、様々な宿に泊まった。ほとんどがありきたりの対応で、ブライバシーに踏み込まないようにしているのか、と思わせるほどだった。19年前に泊まった民宿と言えば、家族の中に入り込むような気安さがあったが、そうした民宿ですら気軽に話し込めるところは少なかった。

                  ●最終3日、驚異の自転車ダイエット

                   同じ道を帰るのは面白くない。国道8号から421号に進路を変え、鈴鹿山脈を越す八風街道で三重県入りすることにした。四国の山々以上に緊張させられる、この旅最後で最大のショーブとなりそうだ。

                   手前の八日市、現在の東近江市にあったビジネスホテルに宿泊。峠を越すと知って係のおばさんから「あまり無理はなさらないように」と言われてしまった。しかし、覚悟はすでにできている。

                   24日、今日も暑い日となった。自転車を引いて上ることも多くなると予想したものの、ママチャリに乗ったまま結構行けるのは意外だった。石榑(いしぐれ)峠を越す手前数キロはさすがにきつく、1時間ほど歩かざるを得なかったが、挑戦してみれば、四国で鍛えた身には大したこともない峠だった。

                   正午すぎには石榑峠を越えられた。三重県側でもう1泊と考えていたが、これなら今日中に家まで帰れる。あとは桑名まで基本的には下り坂になるはずである。

                   四国での最終日は松山の健康ランド「しまなみ温泉 喜助の湯」だった。このとき体重を測ると68.5キロと、家を出てきたときより1キロちょっとしか減っていなかった。飲むに決まっているとみた女房から出がけに言われた言葉、「まさか肥えて帰ってくることはないでしょうね」が恐怖感を伴って思い出されてきた。

                   豪華なフェリーのレストランにはおいしそうな料理や日本各地の地酒を集めたコーナーもあった。しかし、犇乏敕膈畛郵颪鯲イ譴襪らには、もう現実に戻らなければならない。

                   フェリーでは何も食べず、1日2食と断酒を誓った。何でもやってみれば、やれるものだ。これだけ体を動かしていても守れたし、三重県側で1泊することもなく、その日の午後8時前にはわが家にたどり着けた。

                   出迎えた女房は「小さくなった」「小さくなった」を連発した。何か気になる言葉ではないか。自力で四国を一周してきたのだから、人間が大きくなった、とでも言ってもらいたいものだ。

                   行く前は体重が69.8キロ、腹囲が97.0センチだった。体重計に乗ると63.2キロに落ちている。腹囲は84.0と10センチ以上も減っていた。これには最終3日間の運動と禁欲が大きく貢献したにちがいない。

                   容姿の変化だけに限らず、体内までが浄化された感じだ。膝の痛みは消え、痛風も出そうにない。これまでいろいろなダイエットに挑戦してきたが、自転車で旅に出るのが一番だと思えてきた。

                   それもたったの3日ほどでよい。四国であんなに飲み食いしていなかったら、確実に50キロ前半にまで下げられていたはず。そう思うと、もう一度、行ってみたくもなってくる。
                  (同人誌「ちいさなあしあと」秋号より)
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                  引っ越し、します❗️
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                    13年前にこのブログと「かきかき」を始めましたが、
                    このほどフェースブックとツイッターに移行することにしました。
                    長いことご愛読いただき、ありがとうございました。

                    よろしかったら、移転先でもお付き合い下さい。
                    フェースブックは「舟橋武志FB」
                    https://www.facebook.com/profile.php?id=100011622374849
                    ツイッターは下記です。
                    https://twitter.com/MytownNagoya

                    今年、後期高齢者の75歳になり、なにごともこれまでとは変えてみることとし、
                    ここでも変化を求めてみることにしました。
                    どうなりますことやら・・・。
                    お付き合いいただき、ありがとうございました。

                       ブックショップマイタウン店主 舟橋武志
                    | 記事 | 21:24 | - | - | - | - |
                    そのとき事件は起きた
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                       店の近くの松屋で昼飯に牛丼(牛めし)を。いまは値上げされて320円になった。昼飯はこの牛丼ですますのがほとんどで、一番安い400円どまりのコイン駐車場の料金と合わせ、一日に1000円以内で納まる日も多い。

                       牛丼を食べていたら、あろうことか丼の中にハエが落ちてきた。悪いことに、あちこち動き回る。クソッ、何てこった、いま食べている牛丼に。

                       箸でつまみ出そうとしても、動いてうまく挟めない。それでいて飛んでいくわけでもなし、よたよたはいずり回るばかりだ。業を煮やし、指でつかんだ。

                       そして、気付いた。天井にあるエアコンの下に座っていた。暑いので霧が出るほど強力に冷やされており、ハエは冷気に当てられて落ちてきたのだ。気の毒に気絶しそうで、丼の中でのたうち回っていたのだ。

                       放り出したハエはテーブルの上で仮死状態だった。アルバイトの兄ちゃんにいま起きた状況を説明しようかとも思ったが、いちゃもんをつけるかと思われそうで言えなかった。これからは間違っても、エアコンの真下で牛丼は食べないことだ。
                      | 記事 | 13:40 | - | - | - | - |