2012.05.19 Saturday
菊と桜と富士の物語
浜松の郷土史家神谷昌志さん宅を訪ねたら、面白い話を教えてもらえた。国産フィルムの第一号は浜松で作られたとか。「菊」フィルムと言ったそうだが、乳剤の調合や暗室での作業など、それを生み出す苦労は並大抵のものではなかった。
この発売に衝撃を受けたのが“コニカ”の元祖、小西六兵衛だった。薬種商から写真材料の販売に転じていた彼は六桜社を作り、研究開発の最先端を走っていた。国産第一号は当然、六兵衛のもとから発売されるものと思われていた。
突然の出現に落胆は大きかったが、「菊」フィルムは思っていたほどの品質ではなかった。意を取り直して研究を再開、ようやく売り出したのが「桜」フィルムだった。こうして「菊」と「桜」はコダックなどの強敵を相手に競い合うことになる。
両者の開発競争を横目に、もう1社が苦闘していた。大日本セルロイドは売れない製品の拡販をめざしてフィルムの開発に取り組むが、製品化への道は容易ではなかった。しかし、努力のかいあってどうにか発売にこぎ着け、名付けられたのが日本一のお山「富士」だった。
しかし、この「富士」フィルムの生みの親が石造物を寄進し続けた名古屋の“奇人”伊藤萬蔵の長男であったことは知られていない。大日本セルロイドは彼が心血を注いだセルロイド会社を中核にして設立されている。大日本セルロイドはいまダイセロとしてあるが、その前史が語られることはない。
この発売に衝撃を受けたのが“コニカ”の元祖、小西六兵衛だった。薬種商から写真材料の販売に転じていた彼は六桜社を作り、研究開発の最先端を走っていた。国産第一号は当然、六兵衛のもとから発売されるものと思われていた。
突然の出現に落胆は大きかったが、「菊」フィルムは思っていたほどの品質ではなかった。意を取り直して研究を再開、ようやく売り出したのが「桜」フィルムだった。こうして「菊」と「桜」はコダックなどの強敵を相手に競い合うことになる。
両者の開発競争を横目に、もう1社が苦闘していた。大日本セルロイドは売れない製品の拡販をめざしてフィルムの開発に取り組むが、製品化への道は容易ではなかった。しかし、努力のかいあってどうにか発売にこぎ着け、名付けられたのが日本一のお山「富士」だった。
しかし、この「富士」フィルムの生みの親が石造物を寄進し続けた名古屋の“奇人”伊藤萬蔵の長男であったことは知られていない。大日本セルロイドは彼が心血を注いだセルロイド会社を中核にして設立されている。大日本セルロイドはいまダイセロとしてあるが、その前史が語られることはない。
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